函館のドミトリーハウスでずっと読みたかった中村天風さんの本に出逢えたので、その本を読んで感じたことを少し書こうと思います。
同じ出来事でも、それを受け取る人によって重荷にもなれば、支えにもなる。
人によって捉え方は様々だけど、マイナスにとらえすぎて良いことはほぼ無いように思います。ある事象に対して、常にプラスに考えられるような思考回路であるほうが良いです。できない理由なんて考えれば考えるほど湧き出てきます。でも、それを受け取り方を変えて、できる方法をひたすらに探るような思考の方がハッピーだと思いますね。
人間、自分の手に余る困難に出合うと、それを回避する方法を求め、自分から逃げようとするものである。しかし、自分から逃げている限り問題は解決されないし、自分を取り巻く環境はますます苦しくなる。
逃げることって最終的には必要なのかもしれないと思いますけど、やっぱり逃げてばっかじゃ何も変わらないですよね。他人が助けてくれるだろうだなんて考えるよりもどうやったら解決できるのか、乗り越えられるのかを考えないといけないですよね。
時折見受けられる先人の方々を敬う人への軽蔑の目がよくわからない。
中村天風や吉田松陰の様に今の時代の本当の基礎を作った方々の本は多数発行されていて、その考え自体は江戸時代や明治に発想されたものにも関わらず、今日に至っても読まれ続けるのって普通に考えてすごいことですよね。今の時代で言えば、京セラを作った稲盛さんの考えが100年後にも読まれているって間隔でしょうか。何にせよ、時代を超えて読まれ続けるって本当にスゴい。でも、僕が感じるのはこういった本を読んでいる人へのあの「あいつ意識高い系だ」みたいな目がよくわからないです。それがどこから来るものなのか、わかりませんね。
きっと今の現状が”当たり前”だって思ってる。
人によっては小学生のうちから携帯電話をもって、ゲーム機もたくさん持ってて。裕福な生活をすることが当たり前で、それを作ってきた人たちへの感謝の気持ちというか、リアリティが足りないんじゃないのかって思ったりします。
そりゃ実際に戦後の焼け野原を経験してないので現実にはわからないですよね。でも、歴史を勉強してそれを想像することはできますよね。学校ではたくさん勉強しますから。そんな今の当たり前への感謝の気持ちが薄れてしまっていて色んなことがおかしくなってしまっているんじゃないかなって思ったりします。
今日はなんだか抽象的な内容ですが、そんなことを思いましたとさ!
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