2014年10月に新潟から東京までヒッチハイクをした時の話を備忘録として、今更ながらつづっておきます。
新潟の燕三条から東京の世田谷を目指してスタートしたしたヒッチハイク。
やっぱり最初は緊張したなぁ。色んな人が見てくるし、もちろん無視されるし。でも、それでもボードを掲げないと動けないわけだしね。
ボードに書いた文字は「東京方面」。燕三条IC付近でボードを掲げること1時間。
「兄ちゃん、逆やわ」って教えてくれた40歳前後のサラリーマンの方。逆って言われたから、ボードを逆さまにしてしまっているのかと一瞬思いましたが、そうではなくて燕三条ICからは東京方面へは行けないということ。。。
ヒッチハイクの鉄板「IC付近拾い」も行き先が逆だったら意味ないよね。
東京方面へ行ける長岡ICまでだったら乗せてあげるよ!っとのことだったので、乗せてもらうことに。
前職のライバル会社を営業得意先にもっていらっしゃって会話も弾みました。なぜか「人口が減っていくのに、このまま日々売り上げを上げるための仕事をし続けていいのか」っていう深い話までしました。確かにそうですよね。人が減っていく中で売り上げばっかり求めてたらおかしなことになりますよね。足ることを知って、違う方向にすすめばいいんじゃないかなー。
わずか1時間ほどのドライブ終了。
さて、次は長岡ICからヒッチハイク。ここでも1時間近く立ってました。すると、サラリーマンの男性に拾っていただきました。ちょうど営業帰りで栃木の佐野までだったら、ということで乗せてもらいました。
大学に7年間かよったあげく、旅をしたりなんなりで今の職についた薬品系の営業職の方でした。大学7年間でしかもその後旅して、それでも営業マンになれるんだーって正直思いました。その方は英語ができるってのも強みの一つでしたが、やっぱり新卒主義って幻想でしかないなーって思いました。
長岡ICを出たのが夕方だったということもあったので、その人は栃木止まり。
翌朝、佐野IC近くのファミリーマートで待つ事1時間。今度は30歳くらいの職人さんが浦和までならってことで乗せてもらいました。無口な方だったのであまり会話がなかったのですが、
「俺もそんなこと若いうちにやっておきたかったけど、できなかったなー。だから君を見つけた時、乗せてみようと思った」っておっしゃってました。
人生、やらない後悔より、やった後悔!
ほんでもって浦和からどうしようか、迷う。
朝の9時くらいに浦和についてしまった。最終目的地世田谷には夕方用事がある。
はて、どうしよう。選択は2つ。
①電車で実家に帰って着替えて用事に向かう。
②このままヒッチハイクで世田谷方面に向かって時間を潰す。
どうしよう。迷いました。ぶっちゃけ電車で帰ったほうが楽だし、一回家で落ち着けるなーなって思ってました。でも、ここまで来たんだったら目的地までヒッチハイクで行きたいなって意地もある。
結局選んだのは「ヒッチハイク」
ボートを掲げること1時間。
東京近郊では難しいかなーって思ってけど、これまた1時間で拾っていただきました。
家具修理をなさってるご夫婦。奥様が僕を見つけて旦那さんに打診してくださったとのこと。旦那さんも昔ヒッチハイクをされてたらしい。
目的があって日本一周をしていることなどを伝えていたら、お褒めのお言葉と24歳なんだからヒッチハイクなんてしてんじゃない!とお叱りの言葉をいただきました。笑
社交辞令なのかわかりませんが、最後に名刺をくださって「旅が終わって仕事に困ったら連絡くれ」っと言ってくださいました。ありがたや。
っということで、目的地の世田谷に到着!
結局、新潟の燕三条をお昼過ぎに出発して4台乗り継ぎ、翌日のお昼前に目的地に着くことができました。
やってやれないことなんて何もない。
ヒッチハイクをやってみて思った事は「最初に諦めてるのはいつだって自分なんだな。やってやれないことなんて何もないな」ってこと。
最初はヒッチハイクなんてできないなっとか、無視されたらどうしようとかできない理由ばかり考えてたけど、結果をみると4人の方に助けられて目的地に着くことができた。
できない理由なんて考えたらいくらでも出てくる。でも、やってみなければわからないことだったたくさんあるし、やってみると意外と簡単にできることだってたくさんあるなーって。
自分で自分を制御してしまっててはいつまでたっても想像以下の自分にしかなれない。
僕の座右の銘でもある「できる、できないではなく、やるか、やらないか」っていうのを改めて感じたヒッチハイク旅でした!
助けていただいた方々ありがとうございました!
今度は僕が旅人を見つけたら乗せてあげようと思います!
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