気仙沼に「戻って」きてました。僕が震災ボランティアに行った理由と今、伝えたいこと。

人生

 

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キャンプ日本一周で必ず行こうとしていた場所に行くことができました。そこは宮城県の気仙沼市と南三陸町です。震災ボランティアで何度も訪れたこの地に震災から3年経って町がどうかわったのか、もう一度自分の目で見たかった・感じたかったのでここに来ました。

 

なぜ、ボランティアに行ったのか

震災が起きた2011年の3月、僕はまだ大学生で就職活動の真っ最中でした。当時は日本中が大パニックだったのを誰もが覚えていると思います。僕も大パニックでした。

初めてボランティアに参加したのは震災から一ヶ月半程たった4月後半頃。どうやらガソリンの供給は安定してきたという情報があったので、車を持っている友人に声をかけて宮城県へと向かいました。東北の寒さを知らずに車中泊して凍えてたのを今でも覚えてます。

なぜ、ボランティアへ行ったのか。それは「こんな何もできない僕でもあの大災害に対して何かできるなら、何でもいいからやりたい」そう思ったからです。ありったけのお金をもって東京で色んなものを買い出し、被災者の方々へお届けしたのも今思えば大した量でもなかったなーなんて思いますが。

 

今、伝えたいこと。

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現在の南三陸防災庁舎。これを見たくないと思う被災者の方々も多数いらっしゃるそうです。気分を害された方、申し訳ございません。それでも東京や被災地とは離れた所で住む人たちに伝えたいことがあるので、載せさせて頂きました。

僕が伝えたいこと。それは「忘れてはいけない」ということです。

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これは僕が初めて南三陸に来た時に撮影した防災庁舎の写真です。当時は潮が満ちたら浸水するほど、まだまだ何も手がつけられていなかったです。

僕も含め、人間って忘れる生き物ですよね。あの大震災があった当時、みんなが困ったはずです。東京は電車が止まり、計画停電があったり。でも、その中で家族や近所の人や友人、同僚やあるいは見ず知らずの人と一緒に苦労を乗り越えたはずです。

それが3年経った今はどうなんでしょう。何事もなかったかのように、震災前となんら変わらない「こころ」に戻ってしまったんじゃないでしょうか。

 

今日生きれていることは決して当たり前ではなく、明日生きれることも決して当たり前じゃない。

それをあの大震災が、震災で犠牲になった方々が僕らに教えてくれたことなんじゃないでしょうか。

 

あの大震災は色んな人の人生を動かしたはずです。僕は震災ボランティアを機に初めてテントで寝ました。きっと震災が無かったら、僕は今こうしてキャンプしながら日本一周していることはまずないでしょう。

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ここ宮城県の沿岸部はまだまだ以前のような町に戻ることはできてません。何に使うかもわからないのに、山を切り崩し、切り崩して得た土を盛土として利用して町のかさ上げをしています。それが異様な光景でした。

 

今、自分の身の回りにある「当たり前」に改めて感謝して、これからも生きていきたいな。気仙沼に戻ってきてそう思いました。

 

この記事を書いた人
佐久間亮介(さくぽん)1990年3月生まれ。 好きなことを仕事にしようとして会社員を1年10ヶ月で飛び出した旅人。月間最高80万PVのキャンプブログ【https://camp-in-japan.com/】を共同運営。 フリーランス4年目。好きなことが仕事になりました。
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